なぜサポーターになったのか

Jに限らず世界中のサッカーファンに聞いて回りたい。なぜ、あなたはあなたのチームを応援しているの?と。
多分、いろんな答えがあると思う。地元への愛情を語る人もいるだろうし、生まれたときからそうだったとか本当に様々だと思う。
僕の場合は、どうだったかな?と思うと、それは悔しさからの出発だったと思う。
たぶんはじめは地元のチームだからサンフレッチェを見ていた。初めて好きになったサッカー選手は路木龍次で、彼にもらったサインボールを大切にしていた記憶がある。でも、たぶんずっとサポーターではなくファンだったと思う。サポーターではなかった。
サポーターになったのは、間違いなく2002年2ndステージの柏レイソル戦。残留争いの中で沢田謙太郎が見せた魂のゴール。あのサワケンの鬼気迫るプレーにこっちの心も揺さぶられた。あれは僕の人生の中で一番記憶に残っているゴール。
結局、その年、広島は初のJ2降格。
そのチームにとっては挫折が僕にとっては契機になったと思う。2003年のJ2戦線はホームの試合は欠勤3回。とうとうユニとタオマフも買ってゲーフラも作り始めた。で、忘れられない2003.9.23、vs新潟。27000の観衆と耳をつんざくブーイングと歓声。あのときから恒例になったCK時のタオマフ回し。あの年から完全にサッカーの虜になった。
その後もホームにはよくいっていたんだけど、京都に引っ越してきて一年目。またチームに激震が走る。入替戦への挑戦。奇しくも相手は京都。
いてもたってもいられなくて試合開始の5時間前にはゴール裏に並んでいた。コアサポも大勢いたけどまったり雰囲気で、意外とヌルい空気が待機列に流れてたんだけど、そこでコルリが「おれらはここへ遊びにきたんじゃないんじゃ!」と一喝。平日の関西アウェイであんなに引き締まった空気でサポートできる環境作りをしたコアサポたちに感謝し、ホームでの第二戦のサポートを託したが、あえなくJ2降格。
それでこれまで以上に気合いが入ってしまい、現在に至ります。
チームの状況に関わらず精一杯の声をスタジアムで出すのが本当のサポーター。苦しいときとか絶望的な状況でこそサポートは求められているし、行動しないといけない。と、僕は思っています。
だから、今節でJ2降格が決まってしまったけど、ジェフ千葉のサポーターは本当に立派だったと心からそう思います。