記憶の扉としての写真

誰のために、何のために写真を撮るのか。
全部自分の為、自分と周りの人たちの為。
もっと撮っておけばよかったとか思いたくないじゃないか。
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いつか来たこの小さな港町へまた来ることになるとは思わなかった。


以前は色んなことに行き詰まった気持ちになって、平日に会社を休んで一人でここへ来た。
写真は一人で撮るものだと、今より強く思っていた。
誰かに理解してほしいとか、見てもらいたいとか、何も考えていなかった。
同じ場所で似たような構図を今回も撮っていることに帰ってきて気がついた。


だけど今回は大きく違うものもあって、仲間の写真も撮っていた。
誰と来たんだっけ。いつだっけ。
そんな楽しい思い出は辛いだけかもしれない未来だってあるかもしれない。未来が幸せすぎたら忘れてしまってもいいと思う。


でも、もう今日は二度と来ないんだから、500分の1秒でもその瞬間を閉じ込めて、そっと持っててもいいじゃないか。
今回は敢えてデジタルで。物体にして残すには少し感傷的すぎる。
偶然、フッと消えてしまう儚さがあっても良いと思った。
たくさんのデータの中からいつか見たときは、どんな記憶になってるんだろう。


Leica M typ262 Voigtlander ULTRON Vintage Line 35mmF2 Aspherical VM

 誰かとどこかに行きたい

2021年が始まったんだけど、何とも締まりのない年末年始で、このままダラダラとコロナ禍と共にいろんな物事が流れていくのかと思うと憂鬱な気持ちだ。
7月になったからって呑気にオリンピックだって機運になるのか心配する声もあるらしいけど、去年大騒ぎしていた緊急事態宣言が出ても今回は昼呑みだ!って盛り上がっている現状を見ると意外といけるんじゃないのって気持ちになってくるから不思議だ。
別にオリンピックなんてどうでもいいんだけど。


そういえば去年の11月に「もうヌードは撮らない」って自分の中で決めていたのに、あっさりと破ってしまった。
たくさんの人を撮りたいと全く思わないし、撮らせてもらって雰囲気っていうかノリが素敵だなって思った方を繰り返し撮らせてもらったり、なんとなく気になった人を巡り合わせで撮らせてもらえればいいなぁって感覚で人物撮影をしていて、今回そういう機会が巡ってきて、それが考え方含めてとても素敵だと思った方だったから、超緊張の中で撮影させてもらった。
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近所のコンビニで働いている外国人の女の子がとにかく態度が悪くて、夜とか外国人同士で母国語でなんか話しているもんだから嫌だなーと思って敬遠してた。
ある日、仕方なく並んでたら、レジでおっさんがその女の子にクレームを入れていて、「あぁこの子はどんな事情で日本に来たのか知らないけど、日本に来る前はもっと希望に溢れてたのかなぁ。こんなところで夜中に怒られてる自分なんて想像してなかっただろうな」と眺めていたら、いろいろ虚しくなってきた。
でも、クレームおじさんはいつかの自分なのかもしれない。「ありがとう」をちゃんとその子に言うようにし始めた。少し態度が柔和になった気がする。


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車でいろんな人と出掛けて話をするのが楽しい。
上司だったり後輩だったり、家族だったり。お互いに車の外を見ながら目を完全に合わさないからこそ本音が聞ける気がして。
「自分の良いところがもう分かんない。もうダメかもしれない」と後輩が嘆いていた。運転してる横顔がマジだった。
「お前のとりあえず作る軽薄な笑顔に救われてるやつだっているかもよ」って言ったら「それ良いところなんですか?」って困った顔で笑っていた。
それそれ。俺はそんな笑顔作れないからなー。無い物ねだりなんだ、みんな。

 2020な写真生活

今年を振り返る記事を毎年書いているけど、今年ほど書くことがない年もないかもしれない。
とにかくいつの間にか過ぎていった。
2月中旬に友人の結婚式のために東京へ行ったのが最後の旅行らしい旅行だったかもしれない。
閉館するリコーの銀座ギャラリーへ行きたかったから銀座へ赴いたが、既にこの頃、アジア系外国人は銀座の街から一掃されていた。この頃はまだマスクは無いなりにあったし、自粛ムードはなかった。
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3月になって少しずつ遠出はダメな雰囲気になってきてロックダウンが世界中で始まった。
大急ぎでB&Hからまとまった数のモノクロフィルムを入手した。

この頃からなんとなく撮影したポートレートの多くが飾られることもプリントされることもなく電子のチリになっていくことへの違和感が芽生え始めたけど、じゃあ自分の撮る写真にチリ以上の価値があるのかがわからなくて、LFI Galleryへの投稿を始めた。
Jungle Gym Girl

4月に入ってから本格的にテレワークが導入された。
3月末くらいから電車での通勤は避けるように言われて営業車なんかで車通勤していたんだけど、ある日iPhoneのヘルスケアアプリを見て歩数が異様に少なくなっていることに驚いた。昼休みにフィルムカメラを持って散歩する日常が始まった。
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4月・5月はポートレートの撮影を一切やめた。
5月末にテスト的に再開したけど、あまりにうまく撮れずに少し絶望した。
6月は7月に予定していた写真展へ向けて準備を急ピッチで進めたけど、そもそも3月までにモデルさん確定して4〜5月で作品撮りという予定が大崩れになったこともあって慌ただしくなった。
この時期はテレワークの機会に有休消化を会社から促されていた時期だったこともあって、積極的に平日休めて助かった笑
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開催時期がまだナーバスな時期っていうのもあって盛況とは言えなかったけどやれて良かったと思う。

夏はスタジオ撮影を入れてポートレートを撮りつつ、2020年から使い始めたノンライツなレンズも使って楽しくスナップを続けていた。
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秋口になると流石にこの生活にも飽き飽きしてきて、精神的に参っていたけど、これじゃダメだなーと謎に3日に1回以上のペースでポートレート撮影をしていた。
多分こんなペースで撮ることはもう無い気がする。
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絶妙なタイミングで高知への少し長めの出張があったのは本当に助かった。四万十川と高知の酒に癒された。

11月からは会社へ出かける頻度か上がってきた。純粋に忙しくなった。過去形だけど今も続いている…。
そんなこと言いつつ、ポートレートの撮影も展示もした。よくできたなぁと今でも思う。
10月末ごろからつい最近までポートレートが全部夜撮影なのがちょっと面白い。もともと夜撮影の方が好きだけど、なんでこんなに夜撮できたんだろうって考えたら付き合い含めて酒を飲む機会がなかったからだな。それに尽きる。
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夜撮影メインになってから撮らせていただく機会が増えた気もするのでとてもいい傾向だった。


2020年参加した企画展が5展、企画した展示が1展。割と多くプリントして展示した印象。
来年も自分たちで作る展示を続けたいと思っている。
2021年はちょっと趣向を変えた撮影もしたいなぁと思っているのと、もっとプリント前提の撮影をしたいと思う。
今でも銀塩ポートレートを撮った時は撮らせてもらった人に手焼きプリントを渡すようにしているんだけど、そういう機会をもっと作りたいと思っている。

2021年はライカよりマキナ67の年にしたいと思っている。
フィルムがこれ以上高くならないように祈りつつ、コロナがとっとと終焉することを祈りつつ…。
では、良いお年を。


●記事中掲載のモデルさん
1人目:はざまさん
2人目:涼音さん
3人目:Saeho.さん

 ポーカーフェイスと

電車に乗って音楽を聴いていたら、流れてきた曲から不意に思い出す記憶ってない?
その記憶が「え、なんでこんな大事なことを忘れていたんだろう」ってほどに鮮明に浮かび上がることもある。


今でも若い人に「なんでその大学とその学部選んだの?」なんて聞くと微妙な答えが返ってくることがあるけど、自分はハッキリと哲学を専攻できる大学へ行って学ぼうと決めていた。在学中に死ぬほど難解な本を読めるようになっていたかったし、「どうせ大学で学ぶことは一切社会に出ても役に立たない。やりたいことを思いっきり勉強しよう」と思っていた。
実際にこれは今でも大正解だったと思っている。


中でも特に気に入った講義があって、その担当教授の声も話し方も内容も全てが自分の思い描いた”理想の教授像”で絶対にゼミ分けでこの先生のゼミに入ろうと心に決めた。結局、ずっとその教授のゼミだったんだ。

哲学のゼミなんて何するの?って、発表者が議題になる哲学書の一節を要約した後にディベートなんだけど、まず発表者の要約と議論の展開次第でゼミが決まるわけで、担当教授は顔色ひとつ変えずに「この一文でなぜそんな断言ができるのか」とか「時代背景を読み取れてない」とか断じてくるので、泣いてしまう女の子もいたしフェードアウトしていく人もいたけど、むしろそれが楽しかった。
就活シーズンになってみんな少し浮ついてきてもゼミだけは平常運転だった。「大学は就職予備校じゃない上に、残念ながら私が口利きできる就職先なんて知れてるからね」なんて皮肉げに語る姿も最高だった。

そんなある日、なかなか教授が来ない。
やっと来たかと思ったら、就活制度に対する批判を少しした後で、「実はAくんが電車に飛び込み自殺しました」といつもより顔を紅潮させながら、いつもの声で言ったんだよね。
ゼミ教室とかって指定席みたいになるじゃない。自由席だけど。あぁ、確かにいつも早めに来てるのに今日来てないなぁとか思ったんだよ…。
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すごくショックだったこの日の記憶を完全に失っていた。ある曲を聴いてる間に、あれこの曲いつかカラオケで歌ったっけ…誰と行ったんだったっけ…と溢れ出てくるみたいにその日のことと死んだ彼の名前も顔も声もハッキリと思い出してびっくりした。

閉塞感なんてもんじゃないクソみたいな状況で、「あぁめんどくせえな。もうやってらんねえわ。」って心で悪態つきながら、磨耗していくような日常の、如何しようも無い通勤電車で、思いがけず懐かしい日常とその日常が暗転した瞬間に再会した自分は、ただ騒めく心で日常をこなしていくしかなかった。

 ポートレートを展示した話

以前にも書いた気がするが、自分主体で展示をするときは銀塩で出すので、デジタル撮影したポートレートの消化に悩んでいた。

どこかで展示できたらなと思っていたところに、モデルさん主催の企画2件への出展が決まった。
どちらも自分の行ったことのないギャラリーだったこともやってみようと思う理由の一つだったけど、基本的に人からの頼みは断らないスタンスでいるので、断る理由はなかった。

10月の「Anti XXX 〜猫撫展〜」@ビーツギャラリーは、ヌードモデルの猫撫さんを20名を超える人たちが撮った写真展で、なにせ悩んだ。タイトルが「ANTI XXX」だったからというのもあれば、ヌードがテーマだったからというのもある。
色々と不安があったけど、展示に参加できたことはとても嬉しくて、やっぱり写真は展示してナンボっていうか紙にするのが大事だなとめちゃくちゃ思った。
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いただいた短歌。今でもたまに読んで考えている。
もともと猫撫さんの撮影募集ツイートがカッコよくて撮らせてもらったんだけど、被写体活動を辞められるそうなので、自分ももうヌード撮影はしないだろうなぁと思いつつ…。
いろんな意見があったらしいけど、良い展示だったと思う。自分が出してなかったとしても面白かった。


続いて11月1日からは人形作家としても活動されている遠山涼音さんの個展「生前葬」と同時開催の「生前写真館」@gallery cafeBar 冥に参加した。
そもそも他の出展者の方々と比べて俺の作風というか撮影スタイル大丈夫?!って気後れがあったけど、開き直ってピン直打ちで写真を刺そうと決めた。今年のB.L.Tは額装だったけど、本来自分は額装は嫌いなので。
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展示に関する後悔は全くなくて、プリントも見せ方もほぼ思った通りに出来て結構満足している。一番大きいプリントだけは、ビニルで包んでピン打ちして包んだビニルをあとで切り裂いて、その隙間から見てもらおうかなーとか思ったりもしたけど、シンプルにしてよかった。展示に関するアイデアは色々浮かぶけど往往にしてシンプルが一番良いと思う。
まぁ、もっと在廊したかったなぁっていうのと、もっと他の出展者さんやギャラリーオーナーと会話をすればよかったと少し思っている。絶望的に忙しくて出張の合間で搬入して出張帰りに搬出したから精神的に死んでいた。


どちらの展示も参加できてとても楽しかった。
搬入するときのギャラリーへの道すがら、この写真で大丈夫なのか…とか不意に押し寄せてくる不安も、自分の写真を褒めてくれる誰かの声が聞けたりするのも楽しかった。
自分では決して撮らない撮れないスタンスの写真が観れたのも良かった。
写真撮っててよかったと思った。


年内最後は銀塩での展示が控えているので、LightroomからDarkroomへ戻ろうと思う。

 まるで。

コロナ以前は月に一度は旅に行っていた。
年に一度は行こうと決めていた場所があった。
「いつか行こう」のいつかがグッと遠くなった。

出張で1日フリーな日ができた。
あぁこれは「いつか」と思っていけていないところへ行けるチャンスだ。
朝一番にレンタカーを借りた。

7年前にいろんなめんどくさいことを忘れたくて自転車で駆け抜けた四万十川
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あの時と同じような景色だったけど、一緒に自転車で駆け抜けてくれた友達は今はいなくて、急に過ぎ去った時間にゾッとした。
吸い込まれそうな水の綺麗さが恐ろしくて少し立ち尽くした。

「たまには綺麗な景色でも撮ってきたら」と言われて、余計なものがファインダーに映らないライカを持ってきていたけれど、いろんな感情が渦巻いて、結局ほとんどシャッターを切れなかった。
このネガは綺麗に現像してプリントしたいなぁと思って、ロジナールで低温現像した。
暗室でプリントしていた時に、水面を見ながら不安な気持ちになったことをまた思い出した。

今年をノーカウントにしてくれないか。
ちょっとだけそんな卑怯な気持ちが沸き起こってくる。
そんなことを言い出したらノーカウントにしてほしいことだらけだ。


Leica M2 Voigtlander Ultron 35mm F2 Aspherical Ilford HP5+

 価値は自分が決める

長く使ってきた道具が壊れると悲しい。
9年近く使っていたMacBook Airが壊れた。とても気に入っていて、パーツを交換してしつこく使っていたので虚無感が凄い。
6年以上使っていたRICOH GRも不調だが、とうとうメーカーに修理を断られた。騙しながら使っていくのか悩んでいる。
すっかり世間的には価値のないこの道具たちも自分にとっては愛すべき道具たちだ。


とても買うのを悩んでいた写真集があった。
直感的にカッコいいと思ったけど、あえて買わなかったものを、信頼に足るコレクターの方が絶賛していて、買うべきだと勧められた。
このひと夏、どうしようか悩んでいた。買うのをやめた。
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「誰々が勧めていたから、買う。」とか「誰々が撮った写真だから、買う。」って価値判断がおかしい。
「自分が好きだから、買う。」
そんな当たり前のことで悩んでいたとは情けない話だ。


取るに足らない見えない誰かの意図で自分が犯されることもない。
もっとシンプルに自分が良いなと思ったものに囲まれて生きているのが一番良い。
たまにそれをぬるま湯だという人がいるかもしれないけれど、その人は自分のハラワタを裂きにきたハイエナかもしれない。
ハイエナの捕食動画って怖いよな。