計画的に写真を作るってことをした

同じものを違った角度、違った絞りでちょっとずつ変えて撮りまくった。
写真展に出す写真を過去のものから探すのをやめた。
それぞれ別の視点や思想で撮ったものを後でまとめるなんて無理だと思ったから。
もちろん、膨大な量を出せるのであれば、違ったけど。
で、被写体探しである。

  1. どんなものが撮りたいか。(What)
  2. どこで撮るか。(Where)
  3. 写真の連続性をどう担保するか。(theme)

撮りたいものは決まっていて、「無に帰すもの」が撮りたいなぁと。たとえば緑に侵食される廃屋とか壊される町並みとか。
https://www.flickr.com/photos/126161047@N02/35854209542
Leica M6 Elmarit 28mm/f2.8 Kodak 400TX
https://www.flickr.com/photos/126161047@N02/28822732075
Leica M2 Summicron 35mm/f2 Fujifilm Neopan 100 Across

どこで撮るか。とりあえず日常的なところで。ロケーションの目処がなかったから。
連続性というか結局、なんだこの2枚ってなるのは避けたかった。僕はこれについては土地的な結びつきでの解決を選んだ。


どこがいいかなぁと思ってとりあえず練習として高瀬側沿いを上流(二条らへん)から下流東九条)まで歩きながら、構図固定(フレームにおける川と道路他の割合を一定化)して同じ方向でひたすら撮った。それだけでネガ4本に達した。
本当はこれを何度も行う予定だったけど、締切りを考えると少しエリアが広大すぎると判断した。ただ、この記録は継続して撮り続けようと思っている。



結局はもっと抽象的なイメージでブツ撮りに近い形になった。
少し自分の想定とは違う形になったけど、同じ被写体で2、3時間で4本。本当にすごく集中して撮った気がする。
金村修が「撮影した時は気が高揚していて良いものを撮った気でいる。現像やプリントをして行く中でだんだんと批評性が出てくる」と言っている。


アナログな写真のいいところは、デジタルのようにチッピングもなければWi-Fiもないから撮影時の高揚した状態で写真の取捨選択を迫られない気楽さとプリントができるまでの手数の多さにあると思う。
失敗写真の比率なんて、突き詰めていけばどんなカメラを使おうが一緒だ。フィルムは後になってモノとして残るから残酷性が増すだけで、デジタルはチッピングと削除機能が心を埋めてくれるのかもしれない。


暗室ワークでプリントした数枚は狙い通りのコントラストは低くても階調豊かな古いライカレンズの味がしっかり出ていていい感じになりそうな予感。
キャビネでコマを絞ったのでいよいよ次は本番用に取り組む。
最近は出展作品のことで頭がいっぱいでライカM6しか持ち歩いていなかったので、別のカメラを持ち歩ける日々が楽しみでならない。

完全復活したRollei B35が待ってる。