ポーカーフェイスと

電車に乗って音楽を聴いていたら、流れてきた曲から不意に思い出す記憶ってない?
その記憶が「え、なんでこんな大事なことを忘れていたんだろう」ってほどに鮮明に浮かび上がることもある。


今でも若い人に「なんでその大学とその学部選んだの?」なんて聞くと微妙な答えが返ってくることがあるけど、自分はハッキリと哲学を専攻できる大学へ行って学ぼうと決めていた。在学中に死ぬほど難解な本を読めるようになっていたかったし、「どうせ大学で学ぶことは一切社会に出ても役に立たない。やりたいことを思いっきり勉強しよう」と思っていた。
実際にこれは今でも大正解だったと思っている。


中でも特に気に入った講義があって、その担当教授の声も話し方も内容も全てが自分の思い描いた”理想の教授像”で絶対にゼミ分けでこの先生のゼミに入ろうと心に決めた。結局、ずっとその教授のゼミだったんだ。

哲学のゼミなんて何するの?って、発表者が議題になる哲学書の一節を要約した後にディベートなんだけど、まず発表者の要約と議論の展開次第でゼミが決まるわけで、担当教授は顔色ひとつ変えずに「この一文でなぜそんな断言ができるのか」とか「時代背景を読み取れてない」とか断じてくるので、泣いてしまう女の子もいたしフェードアウトしていく人もいたけど、むしろそれが楽しかった。
就活シーズンになってみんな少し浮ついてきてもゼミだけは平常運転だった。「大学は就職予備校じゃない上に、残念ながら私が口利きできる就職先なんて知れてるからね」なんて皮肉げに語る姿も最高だった。

そんなある日、なかなか教授が来ない。
やっと来たかと思ったら、就活制度に対する批判を少しした後で、「実はAくんが電車に飛び込み自殺しました」といつもより顔を紅潮させながら、いつもの声で言ったんだよね。
ゼミ教室とかって指定席みたいになるじゃない。自由席だけど。あぁ、確かにいつも早めに来てるのに今日来てないなぁとか思ったんだよ…。
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すごくショックだったこの日の記憶を完全に失っていた。ある曲を聴いてる間に、あれこの曲いつかカラオケで歌ったっけ…誰と行ったんだったっけ…と溢れ出てくるみたいにその日のことと死んだ彼の名前も顔も声もハッキリと思い出してびっくりした。

閉塞感なんてもんじゃないクソみたいな状況で、「あぁめんどくせえな。もうやってらんねえわ。」って心で悪態つきながら、磨耗していくような日常の、如何しようも無い通勤電車で、思いがけず懐かしい日常とその日常が暗転した瞬間に再会した自分は、ただ騒めく心で日常をこなしていくしかなかった。