消えていくものを遺したい

開戦以降、戦争写真を撮りたいっていう人が意外と多いことに驚いている。
宮嶋茂樹氏が「戦争は撮っておかないと後で”なかったこと”にされてしまう」と語っていたが、激戦地となっているマリウポリを去るジャーナリストが無念さを滲ませて同じようなことを言っていた。ただ、「生きて帰らないとお前の写真は嘘だと言われてしまうから、生きて帰ってくれ」と現地に残る警察官に告げられたことも記録に残していた。
写真の「記録性」と「信憑性」が究極的に求められて利用されまくる、その極地が戦争写真なのかもしれないなって、流れてくる戦争報道を見ながら考えていた。
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今はまだ平和な日本で、良い写真ってなんなんだろうって思いながら、いろいろ考えていたら3月はスナップ的な写真をあまり撮れなかった気がする。
現実には撮ってるんだけど、どうにもどうでも良い写真ばかりで、自分の気持ちとチグハグな感じ。
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何が撮りたいんだろうかって考えていると、消えていく街とか消えていく人とか、そういういつか存在だけじゃなくて記憶からも消えていくものを、なんとか記憶として脳味噌に縛り付けておきたくて写真を撮っているんだと思い出した。
忘却って、人間の素晴らしい脳味噌の機能の一つだっていう人もいて、なるほどなーって思ったりもする。誰だって嫌なことは忘れて眠りたいんだ。
でも、いつかの素敵な誰かの顔を忘れてしまうのは切ない。
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淡く人も撮りながら。