周りの人たちが大きな決断をしたりしているのに自分はなんだか同じような日々を送り続けていて、これで一体いいんだろうか…。
そんな気持ちで最近ずっと過ごしてきた。
何かを変えたいという気持ちより、変えたくないという気持ちが勝ってしまう。良心的な価格を維持してくれていたサイバーグラフィックスがハーマンの代理店契約を切られてしまって、アナログなモノクロ表現も少し悲観的な状況になった。
なんのためにバカみたいに歩いてなんの価値もない写真を撮り続けているんだろう…。そんな気持ちにもなって、フィルムで撮ることをやめようかなってちょっと思ったりしていた。
今日は親友の命日だった。
最初は全然知らない街でスナップでも撮ろうかなって電車に乗って知らない街を撮っていたけど、全然撮れなくて、「こんなの撮りたいんじゃないんだ俺は」って気づいた。電車で戻って、毎日彼と一緒に歩いていた何でもない道を歩いた。
あぁ、ここって昔は喫茶店だったよな、とか、ここでチャリ盗まれたよな、とか、ここの店員のこと気に入ってたな、とかさ。
いろいろ思い出が溢れてきて、もうこの世からいなくなって数年経つのに鮮明さにびっくりした。
それではっきり自覚した。
俺そういうの残しておきたくて写真撮ってたんだわ。でさ、多分それずっと残したいのよ。目に見える形で。
だから、まだ続けるわ。もう少しこっち側で頑張れるわ。
揺れる
セールだったからドクターマーチンを2足買った。
ドクターマーチンの3ホールが好きで、10年近く履いたものと、青色の革を焦がしたような独特の色のものを交互に履いていたんだけど、せっかくだから鋲付きのモデルを買った。
8ホールも10年近く履いているけど、革が馴染んできたなって思うのはここ2年くらいだ。3ホールより履く頻度が少ないとはいえ手強い。
よく撮らせてもらっているモデルさんがマーチンを買って靴擦れがひどいと言っていた。自分も酷かった気がするけど、根性なしなのであんまり長い時間履かずにちょっとずつ慣らしていった記憶がある。
今年もGallery Room 305のGR展に出した。ちょっと目を痛めていて、大きいプリントが焼けなかったのが残念だった。
それよりも前に作っていたブックが好評だったのが良かった。GRって今はそうでもないけど、昔は「人にわかってもらわなくてもいい」って感じの写真撮る人が使ってるイメージが強くて、それが若干寒くて、でも強くて、面白かった。
知り合いの職業カメラマンのドローン申請を手伝ったら、お礼にHP5を20本送ってくれると言われて喜んでいたら、イルフォード製品のサイバーグラフィックスでの取り扱い終了の煽りを受けていつ届くか分からない感じになってしまった。これまでアナログな写真環境を支えてくれたサイバーグラフィックスには感謝しかない。本当にありがとう。これからもオリエンタル是非続けてほしい。
アナログで写真を撮って、何のためにプリントしてるのかなんかうだうだ悩んでいたけど、写ってくれた人に渡すためにこれからもプリントしようと思った。
いつか写ってくれた誰かにいつかまた会ってプリントを渡したいなって思ったりした。
梅田の北ヤードってめちゃくちゃ撮影で使っていたけど、再開発でそれどころじゃなくなってきている。
新しい街が全部同じ感じなのが全然いけすかない。ハリボテ作って楽しいのかよ。
鮎川誠が亡くなったのがとにかくショックだった。
いつまでもかっこいい大人ってこういう人だよなって思ってた。相方が好きな喫茶店について行ったら追悼でひたすらシーナ&ロケッツのレコードがかかっていた。
生き方って大事だなって本当に心から思った。
Good Bye 2022
W杯が始まりそうな日に相方が地下鉄の階段から落ちて救急車で運ばれた。
電話がかかってきた時には先輩とミナミで飲んでいて、大慌てで病院に行った。腰のどこかの骨が折れていて、突如介護生活が始まった。
最初の一週間とかは本当にどうなるんだろうっていう感じだったけど、1ヶ月たってようやく普通に近い生活が戻ってきた気がする。なんだかんだで健康がないとできないことばかりで、サポートしている人も行動が制限されるんだなって実感することができた。健康第一。
今年は毎月どこかに自分の写真を飾ってもらいたいなって思っていて、割と多くの展示に出した気がする。
数えたら9回出展していた。
ブックを置いていたら「売ってほしい」と言われて急遽販売したりして、結構嬉しい反応が多かった。毎年やっているB.L.Tは来年もできたらやりたいなーって思ってるけど、ちょっといつも撮っているものの延長に戻そうと思っている。なんか変に空回った気がする今年。
いつも撮らせてもらってるモデルさんと撮影終わりに話していて、「来年はもっといろんなことにチャレンジしたいよね」って。
気がついたら変化を好まなくなってきている気がしていたから、なんかもっといろんなものに刺激を受けてやりたいことやらないとなって思っている。
撮りたいものは全部撮れ!って心では思ってるけど、なかなか撮れないなーって思っていることとかちょっとずつ解消したい。
今年は大きな買い物しなかったつもりになっていたけど、LFI Gallery 認定50回を記念してLeica M typ240を買い増したのを忘れていた。
今のところ60回超えたし、実は50回って全然通過点でしかなかった気もする。この赤色のMで撮った写真も3枚認定された。あとなぜかわかんないけどメインで使っているtyp262と中身同じはずなのにシャッターチャージが全然このtyp240の方が早かったりする…個体差?
M11触りに行って、新しけりゃ良いってわけでもないって改めて気づいたよ。
色々と辛いことも多い年で気がついたらため息が出まくっていたけど、なんとか無事に終わった2022年…。
来年も楽しく写真撮れりゃそれで良い気がしている。
2023年も楽しくいこうぜ、楽しく。
自分を信じろ
仕事で大きな失敗をしてしまった。本当は自分がしたわけじゃないけど、いきがかり上、なんとかしないといけない状況になった。
割とそういうときに周りの反応に傷ついたりする人がいるらしいけど、自分はむしろ、やっぱり人間はみんな単位で生まれて単位で死ぬ生き物なんだなと実感して、心が軽くなる。
孤独って意味じゃなくて、生まれた時は「母子」とか「親子」って単位で生まれて、死ぬときは「独り」っていう単位で死んでいくんだよねっていうこと。生きて死ぬための人生っていうとpessimisticに聞こえるかも知れないけど、いつか永久にひとりぼっちになるための長い旅と考えるとすごくかっこよくてそれぞれのストーリーが読みたくなる。
そういえば昔、失敗しても全然気にもしてないような素振りをする友達がいて、「後悔とか反省とかしないの?」って聞いたら、「後悔はあるけど、その時の自分はベストを尽くしてたから反省はしないね」「それに多分、未来の自分が頑張って帳消しにするって信じてるから」って言っていたのを思い出した。
実像で写真を撮りたい
実に8年ぶりくらいに一眼レフカメラを使った。
たまたまTwitterでPENTAXの最新機種を貸してくれるサービスを京都でやるって見かけて、申し込んだらまだ枠があったみたいで予約できた。
むかし、ボケ感が好きでよく使っていたF43mm limitedがセットレンズになっていたからK-1 mark IIを借りた。
自分が持っていた頃と比べて全体的にPENTAX、質感あげたなーって気持ちになった。シャッターフィールもそうなんだけど、全体的に。チャチさがなくなった。
ちょっと前に職場の人が使っているK-70を軽く触った時も「あれ、これ意外と…」って質感だったんだけど、ハイエンド機種は当たり前に良い感じ。
単玉振り回して気軽にガンガン撮っても全然バッテリー減らないのはさすが一眼レフって感じ。ミラーレスが嫌いなのって電池のモチが悪すぎて電源気になるのが嫌ってのも大きいし、家電触ってる感じなのが気に食わない。
ただ、ファインダーはライカのファインダーに慣れていると一眼レフは明るいレンズをつけていてもなんか暗いのと、当たり前なんだけどどうしてもピントあわせようとしてしまうからいつもよりワンテンポ遅い写真を乱発していた。
頑なに一眼レフを使わなかった理由を鮮明に思い出した。
没入感は圧倒的に一眼レフの方がいいなーって思いながら、ポートレートの予定でも立てておいて借りれば良かったなーって少し思ったりした。
家に帰ってRAW現像しているとFA43mmの画角ってフルサイズでこそ面白いし、描写も面白くてほんと良い感じだった。
マウント増やす気はあんまないけど、K-1 mark IIとFA43mm全然買っても良いなって思えた。何せ安い。
1日カメラを貸してくれるってめっちゃ良い。まぁ自分の製品に自信があるんだろうな。
身軽に動きたい
8月末にコロナにかかってしまって10日間ポッカリと空白が生まれてしまった。
幸い軽症だったのもあって、家でぼんやり仕事していたんだけど、人と会話ができないのがこんなに辛いとは思わなかった。あと、外に出たくて仕方がなかった。
8月は序盤はとてもいい感じにいろんなことが巡っていたのに、後遺症なのか単に10日間で体力が落ちたのか、9月はちょっとしたことで疲れが出て大変だった。
コロナに効く薬早くできねーかな…って思いながら、きっとまた感染拡大する冬が近づいている。
9月は体力ダウンというかすぐしんどくなってしまうのをなんとかしたくて、意識的にライカを持ち歩くようにしていた。
ある日からライカだけぶら下げてポケットにiPhoneと小銭とICOCAだけになった。「なんかあったらまずいんじゃない?」って言われて小さなカードケースにICOCAと小銭と保険証を入れるようにし始めたけど基本手ぶら生活。
別に困ることもないし、困ったら家に帰れば良いやって気楽なもんだ。割とこんなテンションで遠出もしてるけど本当困ることってないよな。
困るといえばライカで撮るときに限って天気悪い日が続いたのはちょっと残念な9月の思い出だ。
フィルムでももちろん写真は撮っていて毎週1本は使ってるくらいなんだけど、手ぶら生活になってから予備フィルムを持ち歩かないことが増えて少し停滞している。そうなってくると、別にもうデジタルでも良いんじゃない?って気にもなったりして困ったもんなんだけど、暗室作業楽しいし使ってないフィルムがまだ40本以上家にあるから折角だしやめたくない。
でも、フィルムでもデジタルでもモノクロで撮ると、ライカはライカらしい写りなんだよな。ま、レンズ一緒だから当たり前なんだけどさ。
気がつけばもう10月も終わりそうで、本当にいろんなことがあっという間に転がっていく世間の無情さを感じる。
カメラなんて何でもいい
少し前に「カメラなんて何でもいいって言うやつ大体ライカユーザー」って感じのTweetが流れてきて、笑ってしまった。
変な話なんだけど、自分もよく「カメラなんて何でもいいから、とにかく”撮る”って行為に馴染んだ方がいいよ」って人に言っている。
「別にスマホでもいいじゃん」って言う人もいて、否定はしないんだけど、「わざわざカメラで撮る」ということによって構図や露光、トーンで表現がしたい人にはやっぱりカメラが良いと思う。
ちょっと前に、目標達成したらライカを買い増ししようって決めていて、何買おうかなーってライカストアに見に行ったら、アプルーブドのシルバーのM240が置いてあった。
シルバーのライカに惹かれることって今まであんまりなかったけど、その個体がすごく素敵に見えて、なんでだろう?って思ってたら、貼り革がアラカルトの革だったから特にお洒落に見えたんだと気づいた。
その後、ちょっとした出物があって、同じアラカルトの貼り革が施されたシルバーのOH済み個体を入手した。
262も240も出てくる画は全く同じなのに、何でわざわざ買い増ししたかっていうと、絶対的な安心感だった。
もう自分の中で完全に機材にかける情熱とかって終わっていて、今の自分が使いやすいカメラとその環境をキープすることが一番大切なんだよね。
ここ7年間、フィルムもデジタルもレンズは少し増えたけど、癖もほぼ完全に掴んでいて、「こうなったらこういう画が出てくる」とかこうなったら弱い(露出やピントが合わない)とか分かった上で使っている。
これってある意味、「カメラなんて何でもいい」状態の一つなんだよね。だって多分、気に入って手に馴染んだカメラ使ってればみんなその状態になるから。
気に入ったカメラぶっ壊すまで使ってりゃ、撮りたいものは必然的に見つかってくるし、きっと壊れる前にはその撮りたいものに丁度良いカメラに出会えてんじゃないかな。
そもそも、そこまで撮ってりゃ、別の意味でカメラなんて何でも良くなってると思うけど。
そんなことを思いながらGRで夜ポトレを撮っていたら突然レンズが途中で引っかかって強制終了、沈黙してしまった。
壊れた。と絶望して「今日はもう解散っすね…」って駅まで歩いていたら突如復活して上のカットは慌ただしく撮ったんだけど、信頼してるカメラ壊れると本気で泣きそうになるよね。久々に味わったわ、この絶望感。