アナログにデジタルを楽しむ

デジタルライカはいいぞ。

ライカほど毀誉褒貶のあるカメラもなかなか存在しない。
フィルムライカはブランド力も去ることながら、納得感のあるフィーリングであまり批判の対象にはならないが、デジタルライカはとにかく批判的な声が大きいと感じる。
なぜか。
スペック競争な現代にあって、デジタルライカが競っている相手はフィルムライカだからではないかと思う。
そもそも僕がデジタルライカを買ったのは、カラーフィルムの高騰とトイラボの未払い問題で、「そのうち業者に依存度の高いカラーフィルムはなくなるのではないか」と急に焦りを感じたからだ。*1
デジタルライカは今でもM8を使っている人もいればM9を使っている人もいて、他社と比べれば圧倒的にモデルの息が長い。
そのひとつの答えは、ライカ京都でtyp240を手に思案していた僕に店員が言った「今のフィルム感度はフジの1600が最高ですよね。このライカの感度1600と比べてみてください。引き伸ばしても色味や写真としての質感は遜色ないはずですよ」という言葉にある気がする。
https://c1.staticflickr.com/5/4283/35422522116_3bc2830717.jpg
Leica M typ262 Summicron 35mm/f2
結果として僕はtyp262を買った。デジタル的要素が極力少ないデジタルカメラが欲しかったからだ。
唯一の後悔といえば、いっそのこと背面液晶のないLeica M-D typ262を買えばよかったということだけ。
今使っている無印typ262は背面液晶オフにして使っていて、最近背面液晶の保護ガラスが割れていることに気づいたものの、いつから割れていたのかさえわからない始末だから、こんな画面なかった方がよかったと本気で思っている。

ライカが競っている相手が他社デジタルカメラではなく過去の自社フィルムカメラだとすると、やっぱり消費の感覚が狂っている人たちなので、それはそれで良いでしょって感じなんだと思う。
僕もその辺の感覚は狂っている人間なので、ライカ1本にレンズ1本、カラー用のボディとモノクロ用のボディは別個に使いたい。


もし次に買うデジタルカメラがあるとすれば、フィルムで楽しんでいるモノクロ撮影に何らかの将来性他に及ぶネガティブな展望が見えたときに買う、ライカMモノクロームなのだろう。


風呂場にフィルムが干してある光景が日常になってきたので、いささかそれは勘弁願いたいものだ。
https://www.flickr.com/photos/126161047@N02/34540152794
Leica M6 Summaron 35mm/f3.5 Kodak 400TX


デジタルライカ増やすくらいならバルナックが欲しいってのが本音。
黒いやつが。あぁ、黒いバルナックどこかに転がってないかな。

*1:※特に後者のニッチな遊びを破壊する行為者が現れたことへの恐怖が大きい。

 巡り合わせ

出掛ける気分でもなかったけど、久しぶりにデジタルなライカも持ち出してみるかと家を出た。
ちょっと歩いていてふと、足元を見ると、履き古したDr.Martens

久しぶりにDr.Martensのお店をのぞいて見るかと足を運ぶ。
ちょっと店内を眺めて、気に入った色を見つけて、店員さんを呼ぶと、ちょうどその色はサイズが合わない。
うーん、黒は持ってるし…と思っていたら、店員さんがバックヤードからオススメなカラーを持ってきてくれた。
店頭に並んでたやつより断然いいじゃんってなって買ってしまった。

久しぶりにピカピカの靴を履いて見ると、やっぱ靴がピカピカすぎて少し浮いてしまっていた。
そのうちこいつも馴染んでくるのかなと思うと、やっぱり道具は使ってこそ。と思う。
http://www.flickr.com/photos/126161047@N02/34427681393
なんていうか、今使っているライカたちも、手放してしまったカメラたちもそれぞれに手元にやってくるタイミングとか手放すタイミングとかあって、やっぱそれは巡り合わせだし、別に運命論者ではないけど、何もかもがちょっとしたきっかけで巡り巡って今になっていると思うと面白い。


写真に写るものなんて、1/500とか1秒にも満たない一瞬の出来事だけど、一瞬の連続が永遠なんだから、その一瞬を閉じ込められる写真ってまさに永遠だと思う。
http://www.flickr.com/photos/126161047@N02/35106662091
Leica M typ262 Summicron 50mm/f2

 消え方もまさにNATURA

フジフィルムのNATURA 1600が生産終了になるそうだ。
自分の周りではあまり話題にもなっていなくて、つい最近まで気づいていなかった。
NATURA 1600はISO400-1600までの間で撮影しても描写にばらつきの少ない面白いフィルムで、機械式カメラを買ったけど露出とかよくわかんない層とか、旅行行くのにフィルムカメラを持っていきたい層にはドンピシャなフィルムだと思っていた。
色味的にもあっさり目で、カラーも撮っていたときはSuperGold 400とNatura 1600があればデジタルカメラなんていらないと本気で思っていた。
まぁ、デジタルライカを手に入れて本当にフィルムでカラーを撮る事はなくなってしまったのだけれど。
カラーフィルムが廃れるのは必然で、モノクロフィルムがなんだかんだでニッチな層にニッチに生き残り続けるんじゃないかと思っていたけれど、今回のフジフィルムの姿勢でやっぱりそうかもなと思った。
カラーフィルムのバリエーションが一番豊富なフジフィルムの比較的新しいカラーフィルムがあっさりと消えてしまう。
http://www.flickr.com/photos/126161047@N02/30082469240
Leica M6 Elmar 50mm/f2.8 Fujifilm Natura 1600
たまにはカラーも撮るかな。

 コンタクトシートと過ごす夜

コンタクトシートを作り始めて、スキャンするのが少しあほらしくなってしまって、写真は撮っていても全然スキャンしていない。
コンタクトシートを作るのは何も考えなくていいぶん、ものすごく簡単でシンプルで、でも、出来上がってくるものはある程度撮影環境を思い出させてくれるもので。
「これだけで酒が飲めるよ」なんて言われたけど、まさにそうだ。

最近、写欲が少し薄れてきた気がして、あれ?って感じだけど、まぁ、撮らなくてもカメラを身近にしておくことが大切なのかなと思って意識的に持ち歩くようにしている。
マンネリ化もあるんだけど、永遠に写真を撮るって言う行為はマンネリとの闘いな気がする。


難しく考えずに撮りまくるのも大事かもしれない。

Leica M6 Summicron 50mm/f2 Kentmere Pan400


難しく考えずに…といえば、キャビネ版のプリントもストレートで何も考えずにガンガン焼ける。
あとあと焼き込み際のデータ取りのために役立つだろうし、スキャンするのもこっちの方が楽だ。


夏にやるよって言われていたグループ展が延期になってしまったけど、代わりに企画展に誘われたので、当面はM6とズミクロンをメインに撮っていきたい。
難しく考えずに。

 贅沢な気持ち

今年の桜はいつもより遅く咲き始めたからか、長く楽しめる。
桜の名所と呼ばれる場所は、なんだか人が多すぎて、見たくもないものが見えるから苦手だけど、「通勤時間にふと見上げる桜の花っていうのが実は一番贅沢なんじゃないですか?」ってテレビで濱田マリが言っていて、妙に納得してしまった。
http://www.flickr.com/photos/126161047@N02/33865251821
Leica M typ262 Summaron 35mm/f3.5
桜を見上げる人たちのほっとしたような顔がすごく良い感じで、昼間はM2で街を撮った。
夜桜はもっと儚げで妖艶さがあって、こちらはデジタルライカを持ち出した。


今年の桜は昼も夜も贅沢に堪能できた。
こんなに楽しく桜を楽しめたのも、目の前にある当たり前の贅沢を楽しめるようになったからだろうか。

 暗室作業のお手本 

暗室作業ってなんか書道教室に似てる。
とにかく自分の頭の中にあるお手本に似せていく作業なところとか、結局、判断の基準が自分の中にあるところとか。
あんまり突き詰めてしまうと際限がなくなるところまでそっくり。
実は十数年間くらい書道をやっていた時期があって、それこそ最初の頃はお手本通りに書いていくんだけど、最後の数年間はお手本っていうものが自分の中にあるようになって、そこにずっと答えを求めいく感じだったなぁと…。最後の方には、何が何だかわからなくなってくる。


暗室作業も似た感じで、追い求めていくと際限がない。
特に夜に暗室作業をしちゃうと若干ハイになってる部分もあるから、それこそダメだ。
http://www.flickr.com/photos/126161047@N02/33087122374
Leica M6 Summicron 35mm/f2 Kodak 400TX
この間写真を追い込んでやっている時とか、壁の色乗りが気に入らないとか色々と悶々とした感じになっていって、あーこれはやばいなぁと。
不意に加山雄三の「お嫁においで」が脳内にひたすらリピートされて、いよいよダメになって暗室を出た。
そんな時に別のをポンとやって見ると、イメージ通りに焼けたりして、そんなもんなんだよなぁ。


次暗室に入る時には何も考えずにひたすらベタ焼きを作り続けようと思っている。
それこそどんなものが焼きたいかはベタ焼きをみながら考える方がスキャン画像をPCモニターで眺めるより良い案ができそうな気がするから。

 3月の記憶

一ヶ月ほど東北で船に乗っていた。
おかげでほとんど写真と離れた生活を送った。
船内生活っていう閉鎖されたコミニティの中で、外から来た自分を受け入れてくれた人たちには感謝しかない。

今週、関西に戻ってきたが、3月という季節が完全にすり抜けてしまったためにいまいち体調が優れない。
東北では雪が降っていたり朝氷点下だったりが普通だったから、こんなに温かいところにポンと戻されても困る。
困るといえば、なかなかに浦島太郎状態なので知り尽くしていたはずの街角に違和感があったりする。

東北にいるあいだ、Rollei B35だけは持っていたけど、ほとんどシャッターを押す機会はなかった。
船室の窓から外を撮ってみたりしたけど、つまらなくなってやめてしまった。
3.11には防災無線が鳴って車が止まって復興工事の騒音も止んで、みんなで海に向かって黙祷をした。
港にいる誰もが黙祷をしていた。

次の日に車に乗って近くの町を彷徨って、震災遺構を見たりした。
ふと岸壁から海を見ると、無数の花が浮かんでいた。
http://www.flickr.com/photos/126161047@N02/33800526511
Rollei B35 Triotar 40mm/f3.5 Kodak 400TX