中平卓馬のドキュメンタリー映画を見る機会があった。
ちょうど中平卓馬の写真集をもらったこともあって、相方さんから勧められたんだ。
実は勧められたのは二度目なんだけど、中平卓馬の写真が今までずっと「怖い」と思っていたので一度断った。
でも、結局見て、とても感動してしまって泣きそうになった。
「カメラになった男 写真家 中平卓馬」
この中で自分が一番感動したシーンは、沖縄で東松照明の写真展の題目であった「写真の記憶と創造」を激しく批判した場面。
写真はどこまでもドキュメンタリーだっていう姿勢が写真に対してピュアだった。
森山大道も「写真は現実のコピーだ」っていうことを言っていたけど、個人の表現・創造のための写真が巷に溢れかえっている中、中平卓馬の姿勢は痛快だった一方で、突きつけられている気持ちになった。
何を撮るとか、何で撮るとか、誰が撮るとかではなくて、もっと生々しいものが大事なんだと思った。
超抽象的だけど。
山盛りのリバーサルフィルムが映されていたけど、やっぱり数のないところに質はないんだよ。
帰りに京都大学熊野寮の前を歩いていたら”粉砕”された立て看が束になっていた。
もっと剥き出しの写真が撮りたい。撮れるようになりたい。