価値は自分が決める

長く使ってきた道具が壊れると悲しい。
9年近く使っていたMacBook Airが壊れた。とても気に入っていて、パーツを交換してしつこく使っていたので虚無感が凄い。
6年以上使っていたRICOH GRも不調だが、とうとうメーカーに修理を断られた。騙しながら使っていくのか悩んでいる。
すっかり世間的には価値のないこの道具たちも自分にとっては愛すべき道具たちだ。


とても買うのを悩んでいた写真集があった。
直感的にカッコいいと思ったけど、あえて買わなかったものを、信頼に足るコレクターの方が絶賛していて、買うべきだと勧められた。
このひと夏、どうしようか悩んでいた。買うのをやめた。
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「誰々が勧めていたから、買う。」とか「誰々が撮った写真だから、買う。」って価値判断がおかしい。
「自分が好きだから、買う。」
そんな当たり前のことで悩んでいたとは情けない話だ。


取るに足らない見えない誰かの意図で自分が犯されることもない。
もっとシンプルに自分が良いなと思ったものに囲まれて生きているのが一番良い。
たまにそれをぬるま湯だという人がいるかもしれないけれど、その人は自分のハラワタを裂きにきたハイエナかもしれない。
ハイエナの捕食動画って怖いよな。

 時代を超える演算装置として

「レンズは資産」なんていうけれど、使わないレンズが増えていっても仕方ない気もする。
とはいえ、一度手放してしまうと二度と手に入らない気がして手放す気にならない。
気づけば、自ずとよく使うレンズとあんまり使わないレンズにはっきり分かれている。


GRがフルサイズになればいいなぁとかファインダーがあれば…とか色々思うこともあったけど全て解決した。
リコーが1997年に発売したLマウント版のGRレンズを買ってしまった。


しかしまぁ、このレンズ、とにかく後ろ玉のバルサム剥がれの個体ばかりだ。
古いレビューサイトを読んでいると、購入後5年ほどでバルサム剥がれに直面したユーザーが「不良品だ。リコールものだ」とかなり怒っていた。新品で89,000円のレンズで、当時のGRシリーズの販売価格を考えると、その怒りも十分に理解できる。
その割にバルサム剥がれてても今では平気で新品定価並みで売っている…その後のGRシリーズの躍進を喜ぶべきなのか…笑
ところで、実はこのレンズを買おうとするのは2度目だ。1度目は狙っていた個体を買いに行ったら入れ違いで売れていて、代わりにエルマリート28mm 4thを買った。
エルマリート28mm 4thは結構気に入っていて、球面なのにキッチリ写る反面、絶妙なゆるさもあって、扱いやすい。
GRレンズはタイミングが合えば手に入れようと思ってはいたけど、優先順位は低く、復刻版のズマロン28mm/f5.6で頭がいっぱいで忘れていた存在だった。


たまたま手に入った個体は、多分にもれずバルサム剥がれ個体。今までバルサム剥がれをしたリケノンとかも使ったことがあるけど、実際写りにはほぼ影響しなかったので、これはあまり気にしなかった。触って驚くのが重さ。小さなレンズなのに意外と重い。あと、造りがいい。
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実際にLeica M monochromにつけて使ってみたら、あまりに写りが頭に思い描いているGRそのもので笑ってしまった。
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周辺減光と周辺収差は絞ってもそれなりに気になるが、フルサイズGRだ。
Leica MMの力もあるが、とても小さなレンズでここまで写れば上等。
なにせ使い慣れたGRの絵が出てくる。フルサイズで、モノクロームで笑


あと、どうでもいいんだけど昔のレンズとかって一昔前のレビューサイトの方がその時代のニーズとかもよくわかって参考になるし、「ちゃんと撮ったフィルム写真」を掲載してくれてるから大好きなんだけど、サーバーのサービス終了とか、インフルエンサー的志向のnote記事とかに追いやられて検索で引っかかりにくくなってるのが許せない。


落合陽一氏はレンズは演算装置という話をご自身のYouTubeチャンネルでされていたが、時代を超えていく側面もあるので、当時の生の声が容易に発信できる世代のレンズの生の声は聞いてみたい気がするのは自分だけなんだろうか。

 No Need

ちょっと写真を撮るのが楽しくなくなった。
楽しくなくなったという言葉が適切か分からないけど、何を撮れば良いのかちょっとわからなくなった。
それでもカメラにフィルムを詰めて街を歩いて、なんとなく気になったところをパチパチ撮る。
135で展示して、画質的に思うところあってメイン機をマキナに戻したからパチパチでもないか。
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デジタルはもうポートレート撮る時しかまともに使っていない。
別にポーレート撮りたくて買ったわけじゃないデジタルライカたちは不憫だ。
欲しいカメラも欲しいレンズももはやなくなった。て言うかどうでもよくなった。
今の自分にはオーバースペックなものばかりだ。

フィルムが手元に少なくなったら当たり前のように補充し続けて、これがどうなるんだろう。
別に何にもならないクソみたいなネガと大カビネが積み上がっていく防湿庫の横。

作業ゲー化してしまっているのか。
5,6年前までドキドキしながらマキナで写真を撮りまくっていた五條楽園も、もう撮りたいと思うものがなくなった。
すっかり別の街になった。

ここ2年ポートレートを撮ってきたけど、楽園で味わえなくなったドキドキ感を、ポートレート撮影のドキドキ感で埋めていたのかもしれない。
これからどうするかまだ考えてない。

でも結局、誰にも求められていないクソみたいなネガをこれまで通り積み上げ続けることしか出来ないのかもしれない。
停滞したいとは1mmも思ってないんだけど、やりたいことが分からなくなってしまった。


Photo : Plaubel makina67 ilford HP5Plus

 フジと過ごした7月 

コロナで出歩くことが本当になくなって、微妙に小銭が出来たってこともあるけど、dp2 merrillを買ったけど、あまりに馴染めずに短期間で手放してしまった。
そのあと、毎日持ち歩いているGRを修理に出すことになって、再修理とかいろいろあって、FUJIFILMのX100Fを買った。
正直なことを言うと、X100VのPV問題以降、全くFUJIFILMのことを受け付けなくなっていて、本当に良いイメージはなかった。
とはいえ、製品自体に罪はないわけで、手にしたX100Fは本当に良いカメラだった。
OVFとEVFの切り替えられるファインダーもとてもよかったし、絞りもSSもISOも露出補正もダイヤルで操作出来るっていうのはめちゃくちゃ操作がしやすかった。
普段、マニュアルなライカを使っていることもあるけど、ほぼ直感的に使うことが出来た。
あとは、バカに出来ないなーと思ったのはフジのフィルム時代から続く色づくり。これは蓄積度が他メーカーとは格が違うなーと思った。
SONY的な解像感というよりは、ライカと方向性は同じなのかな、絵的な写真的な絵づくりで、好感をいだいた。
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ポートレートの写真*1はISO6400。6400でここまで撮れれば超上等。なんならフルサイズなライカより良いって思った。
レンズも良い感じだった。開放が甘いのは賛否あるっぽいが、開放パキッとが良ければX100Vを買えば良い気がする。まだ併売している。


さて、過去形で書いているので気付いた人もいるだろうが、手放した。
理由はいろいろあるけど、ライカと絵づくりの方向が似ている(もちろん違うけど)ことと、サブカメラっぽくなさすぎること。
GRみたいに片手で設定チョチョっと変えれて構図はともかく撮ってしまえ!っていうコンセプトのコンデジに慣れすぎていて、X100Fではサイズ的にそれは辛かったことと、このサイズなら重量はともかく、ライカ持ち出すわって思ってしまった。


なんとなくFUJIFILMのカメラはまた手にするかもしれないと思った。
ちなみに、流石に今回のカメラコロコロ入れ替えは嫁バレしたんだけど、「カメラ買うな、レンズなら許す」と言われて心の中でガッツポーズした。

*1:model : iさん @i04030818

 くだらない明日に別れを

コロナ自粛でテレワークしていたときがもはや懐かしい。
完全に日常生活に戻ってしまった。東京が何人だ、大阪が何人だって言ったって、このまま日常は進んでいく。
進んでいくというか「こなされていく日々」だ。
コロナでみんな自分のシノギと自分の健康に必死になって、少しぎこちない感じがする。
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自粛自粛もまっぴらだけど、人を不愉快にさせてまでやりたいナニカは特になかった。
でも、こういう時代だからこそ、自分は何が出来るのか、何がしたいのかを考えてみたいなぁと思う。


7月末から昨年の写真展「B.L.T」の続きをやる。
今回は2週間。
失われた日々とくだらない明日を蹴っ飛ばす為に暗室に通う今日この頃。
雨はもう降らないでくれ。
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Website

 断絶された5月

コロナがやってきて、気がついたらあっという間に世界中に広まって脅威になってしまった。
今まで「人を見た目で差別してはいけない」「多様な文化を受け入れよう」なんてグローバリゼーションな価値観がより文化的だとされていた世界が、強制的にシャットダウンされてローカリゼーションな価値観にシフトすることになった。
確実にこのコロナ禍は世界史の教科書に載る出来事だと思う。某国に侵略された世界線ではこの限りではないが。

国内でも県外ナンバーへの攻撃や、県境をまたぐなよキャンペーンが展開された。
体調が少々悪いくらいで休むな!と誰も言わなくなった。初夏の陽気でもみんなマスク継続中だ。

住んでいる街の意外な面が見れたりして面白いなぁと思っていた期間もとっくに過ぎて、今度はこの断絶された世界線が不安になってくる。
コロナ前に石巻でみたブルーインパルスが東京の空を飛んだと聞いて、遠くの出来事なのにすごく胸が熱くなった自分がいた。
潜在的に不安な心って溜まっているのかもしれないし、モヤモヤの吐け口も少ない。
今まではなんだかんだで人に会う世界だったんだなぁと思い知る。人に会わなくても仕事が出来ることはストレスフリーでより自由な気もするが、やっぱり空虚な感じがする。立ち飲み屋にだって行けないし、行きつけだったバー達は無事なんだろうか…。

この空しさを埋めるために徒歩圏オンリーで写真を撮りまくった。
毎日36枚撮りを1本は使ったんじゃないかな。コロナ前に買った定着液が完全にヘタってしまった。
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なんとなく少し寂しい写真が多いかなと思っていたら、「いつも汚い裏路地とか変なところ撮ってるから人なんて写ってないでしょ」って相方に言われた。
それもそうかな。
でも、やっぱり少し撮影行為については色々考えることがあった。色々悩んだ。


悩んだ果てに買ってしまったSigma dp2 merrillを買った2日後に売ったのは内緒だ。
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なにせ性に合わなかった。


No.1-4 Leica M2 Voigtländer Ultron 35mm/f2 Asph Kentmere Pan400
No.5 Ricoh GR1s GR Lens 28mm/f2.8 Kentmere Pan400
No.6 Sigma dp2 merrill 30mm/f2.8

 テレワークライフ

絶賛テレワーク中だ。
テレワークになって強迫観念というか「今日はこれを終わらせないといけない」とか作業ノルマに会社にいる時よりも襲われてしまって、初日と二日目はグッタリ疲れてしまった。性格にもよるんだろうけど、自分の場合、マジメだとは思わないけど「こうあるべき」って思いが強いのかもしれない。
家にずっといると食欲もぜんぜん来ないし、ただ朝起きて仕事前の連絡して仕事して、夕方になったら映画1本見て、風呂入って寝るってただそれだけの生活を2日もやってしまった。
で、さすがにこれはヤバいなと…ストレスで免疫力も下がってしまいそうだ…ということで昼休みにカメラ片手に散歩に出掛けている。
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4月と思えないほど冷たい雨が降った日には、RICOH GR10を片手に。フィルムはKentmere Pan400だったかな。
ルールは1つ、とにかく36枚撮ったら家に帰るってこと。撮りたくて撮れなかった場所は次の日。
実はこれが結構頭を使う。反射的にシャッター切る人なので圧倒的に足りない。
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Leica M Monochromでも36枚でおしまい。


もちろん撮影途中に店に立ち寄ることもなければ人と接触することもない。
なんならすれ違うことすらない日もある。
自分の大事な誰かを守るために、控えるべき時間帯・タイミングとか立ち寄るべきじゃない場所とかは考えつつ、撮れる範囲で撮り続けていたい。


しかしまぁ、2月くらいには考えられなかったな、こんな状況。
「明けない夜はないけれど、目覚めなければ朝は来ない。」って昔流行ったドラマで言ってた。
サヴァイブして朝日を見よう。