ポートレートを展示した話

以前にも書いた気がするが、自分主体で展示をするときは銀塩で出すので、デジタル撮影したポートレートの消化に悩んでいた。

どこかで展示できたらなと思っていたところに、モデルさん主催の企画2件への出展が決まった。
どちらも自分の行ったことのないギャラリーだったこともやってみようと思う理由の一つだったけど、基本的に人からの頼みは断らないスタンスでいるので、断る理由はなかった。

10月の「Anti XXX 〜猫撫展〜」@ビーツギャラリーは、ヌードモデルの猫撫さんを20名を超える人たちが撮った写真展で、なにせ悩んだ。タイトルが「ANTI XXX」だったからというのもあれば、ヌードがテーマだったからというのもある。
色々と不安があったけど、展示に参加できたことはとても嬉しくて、やっぱり写真は展示してナンボっていうか紙にするのが大事だなとめちゃくちゃ思った。
f:id:nowarl:20201123223647j:plain
f:id:nowarl:20201123223720j:plain
いただいた短歌。今でもたまに読んで考えている。
もともと猫撫さんの撮影募集ツイートがカッコよくて撮らせてもらったんだけど、被写体活動を辞められるそうなので、自分ももうヌード撮影はしないだろうなぁと思いつつ…。
いろんな意見があったらしいけど、良い展示だったと思う。自分が出してなかったとしても面白かった。


続いて11月1日からは人形作家としても活動されている遠山涼音さんの個展「生前葬」と同時開催の「生前写真館」@gallery cafeBar 冥に参加した。
そもそも他の出展者の方々と比べて俺の作風というか撮影スタイル大丈夫?!って気後れがあったけど、開き直ってピン直打ちで写真を刺そうと決めた。今年のB.L.Tは額装だったけど、本来自分は額装は嫌いなので。
f:id:nowarl:20201123225707j:plain
展示に関する後悔は全くなくて、プリントも見せ方もほぼ思った通りに出来て結構満足している。一番大きいプリントだけは、ビニルで包んでピン打ちして包んだビニルをあとで切り裂いて、その隙間から見てもらおうかなーとか思ったりもしたけど、シンプルにしてよかった。展示に関するアイデアは色々浮かぶけど往往にしてシンプルが一番良いと思う。
まぁ、もっと在廊したかったなぁっていうのと、もっと他の出展者さんやギャラリーオーナーと会話をすればよかったと少し思っている。絶望的に忙しくて出張の合間で搬入して出張帰りに搬出したから精神的に死んでいた。


どちらの展示も参加できてとても楽しかった。
搬入するときのギャラリーへの道すがら、この写真で大丈夫なのか…とか不意に押し寄せてくる不安も、自分の写真を褒めてくれる誰かの声が聞けたりするのも楽しかった。
自分では決して撮らない撮れないスタンスの写真が観れたのも良かった。
写真撮っててよかったと思った。


年内最後は銀塩での展示が控えているので、LightroomからDarkroomへ戻ろうと思う。

 まるで。

コロナ以前は月に一度は旅に行っていた。
年に一度は行こうと決めていた場所があった。
「いつか行こう」のいつかがグッと遠くなった。

出張で1日フリーな日ができた。
あぁこれは「いつか」と思っていけていないところへ行けるチャンスだ。
朝一番にレンタカーを借りた。

7年前にいろんなめんどくさいことを忘れたくて自転車で駆け抜けた四万十川
Shimantogawa River
あの時と同じような景色だったけど、一緒に自転車で駆け抜けてくれた友達は今はいなくて、急に過ぎ去った時間にゾッとした。
吸い込まれそうな水の綺麗さが恐ろしくて少し立ち尽くした。

「たまには綺麗な景色でも撮ってきたら」と言われて、余計なものがファインダーに映らないライカを持ってきていたけれど、いろんな感情が渦巻いて、結局ほとんどシャッターを切れなかった。
このネガは綺麗に現像してプリントしたいなぁと思って、ロジナールで低温現像した。
暗室でプリントしていた時に、水面を見ながら不安な気持ちになったことをまた思い出した。

今年をノーカウントにしてくれないか。
ちょっとだけそんな卑怯な気持ちが沸き起こってくる。
そんなことを言い出したらノーカウントにしてほしいことだらけだ。


Leica M2 Voigtlander Ultron 35mm F2 Aspherical Ilford HP5+

 価値は自分が決める

長く使ってきた道具が壊れると悲しい。
9年近く使っていたMacBook Airが壊れた。とても気に入っていて、パーツを交換してしつこく使っていたので虚無感が凄い。
6年以上使っていたRICOH GRも不調だが、とうとうメーカーに修理を断られた。騙しながら使っていくのか悩んでいる。
すっかり世間的には価値のないこの道具たちも自分にとっては愛すべき道具たちだ。


とても買うのを悩んでいた写真集があった。
直感的にカッコいいと思ったけど、あえて買わなかったものを、信頼に足るコレクターの方が絶賛していて、買うべきだと勧められた。
このひと夏、どうしようか悩んでいた。買うのをやめた。
R0061390


「誰々が勧めていたから、買う。」とか「誰々が撮った写真だから、買う。」って価値判断がおかしい。
「自分が好きだから、買う。」
そんな当たり前のことで悩んでいたとは情けない話だ。


取るに足らない見えない誰かの意図で自分が犯されることもない。
もっとシンプルに自分が良いなと思ったものに囲まれて生きているのが一番良い。
たまにそれをぬるま湯だという人がいるかもしれないけれど、その人は自分のハラワタを裂きにきたハイエナかもしれない。
ハイエナの捕食動画って怖いよな。

 時代を超える演算装置として

「レンズは資産」なんていうけれど、使わないレンズが増えていっても仕方ない気もする。
とはいえ、一度手放してしまうと二度と手に入らない気がして手放す気にならない。
気づけば、自ずとよく使うレンズとあんまり使わないレンズにはっきり分かれている。


GRがフルサイズになればいいなぁとかファインダーがあれば…とか色々思うこともあったけど全て解決した。
リコーが1997年に発売したLマウント版のGRレンズを買ってしまった。


しかしまぁ、このレンズ、とにかく後ろ玉のバルサム剥がれの個体ばかりだ。
古いレビューサイトを読んでいると、購入後5年ほどでバルサム剥がれに直面したユーザーが「不良品だ。リコールものだ」とかなり怒っていた。新品で89,000円のレンズで、当時のGRシリーズの販売価格を考えると、その怒りも十分に理解できる。
その割にバルサム剥がれてても今では平気で新品定価並みで売っている…その後のGRシリーズの躍進を喜ぶべきなのか…笑
ところで、実はこのレンズを買おうとするのは2度目だ。1度目は狙っていた個体を買いに行ったら入れ違いで売れていて、代わりにエルマリート28mm 4thを買った。
エルマリート28mm 4thは結構気に入っていて、球面なのにキッチリ写る反面、絶妙なゆるさもあって、扱いやすい。
GRレンズはタイミングが合えば手に入れようと思ってはいたけど、優先順位は低く、復刻版のズマロン28mm/f5.6で頭がいっぱいで忘れていた存在だった。


たまたま手に入った個体は、多分にもれずバルサム剥がれ個体。今までバルサム剥がれをしたリケノンとかも使ったことがあるけど、実際写りにはほぼ影響しなかったので、これはあまり気にしなかった。触って驚くのが重さ。小さなレンズなのに意外と重い。あと、造りがいい。
f:id:nowarl:20200823222006j:plain
実際にLeica M monochromにつけて使ってみたら、あまりに写りが頭に思い描いているGRそのもので笑ってしまった。
L1008148
L1008194
L1008189
L1008168
周辺減光と周辺収差は絞ってもそれなりに気になるが、フルサイズGRだ。
Leica MMの力もあるが、とても小さなレンズでここまで写れば上等。
なにせ使い慣れたGRの絵が出てくる。フルサイズで、モノクロームで笑


あと、どうでもいいんだけど昔のレンズとかって一昔前のレビューサイトの方がその時代のニーズとかもよくわかって参考になるし、「ちゃんと撮ったフィルム写真」を掲載してくれてるから大好きなんだけど、サーバーのサービス終了とか、インフルエンサー的志向のnote記事とかに追いやられて検索で引っかかりにくくなってるのが許せない。


落合陽一氏はレンズは演算装置という話をご自身のYouTubeチャンネルでされていたが、時代を超えていく側面もあるので、当時の生の声が容易に発信できる世代のレンズの生の声は聞いてみたい気がするのは自分だけなんだろうか。

 No Need

ちょっと写真を撮るのが楽しくなくなった。
楽しくなくなったという言葉が適切か分からないけど、何を撮れば良いのかちょっとわからなくなった。
それでもカメラにフィルムを詰めて街を歩いて、なんとなく気になったところをパチパチ撮る。
135で展示して、画質的に思うところあってメイン機をマキナに戻したからパチパチでもないか。
img801
img800
img798

デジタルはもうポートレート撮る時しかまともに使っていない。
別にポーレート撮りたくて買ったわけじゃないデジタルライカたちは不憫だ。
欲しいカメラも欲しいレンズももはやなくなった。て言うかどうでもよくなった。
今の自分にはオーバースペックなものばかりだ。

フィルムが手元に少なくなったら当たり前のように補充し続けて、これがどうなるんだろう。
別に何にもならないクソみたいなネガと大カビネが積み上がっていく防湿庫の横。

作業ゲー化してしまっているのか。
5,6年前までドキドキしながらマキナで写真を撮りまくっていた五條楽園も、もう撮りたいと思うものがなくなった。
すっかり別の街になった。

ここ2年ポートレートを撮ってきたけど、楽園で味わえなくなったドキドキ感を、ポートレート撮影のドキドキ感で埋めていたのかもしれない。
これからどうするかまだ考えてない。

でも結局、誰にも求められていないクソみたいなネガをこれまで通り積み上げ続けることしか出来ないのかもしれない。
停滞したいとは1mmも思ってないんだけど、やりたいことが分からなくなってしまった。


Photo : Plaubel makina67 ilford HP5Plus

 フジと過ごした7月 

コロナで出歩くことが本当になくなって、微妙に小銭が出来たってこともあるけど、dp2 merrillを買ったけど、あまりに馴染めずに短期間で手放してしまった。
そのあと、毎日持ち歩いているGRを修理に出すことになって、再修理とかいろいろあって、FUJIFILMのX100Fを買った。
正直なことを言うと、X100VのPV問題以降、全くFUJIFILMのことを受け付けなくなっていて、本当に良いイメージはなかった。
とはいえ、製品自体に罪はないわけで、手にしたX100Fは本当に良いカメラだった。
OVFとEVFの切り替えられるファインダーもとてもよかったし、絞りもSSもISOも露出補正もダイヤルで操作出来るっていうのはめちゃくちゃ操作がしやすかった。
普段、マニュアルなライカを使っていることもあるけど、ほぼ直感的に使うことが出来た。
あとは、バカに出来ないなーと思ったのはフジのフィルム時代から続く色づくり。これは蓄積度が他メーカーとは格が違うなーと思った。
SONY的な解像感というよりは、ライカと方向性は同じなのかな、絵的な写真的な絵づくりで、好感をいだいた。
DSCF3728
DSCF3626
DSCF3671
DSCF3613
DSCF3610
DSCF3635

ポートレートの写真*1はISO6400。6400でここまで撮れれば超上等。なんならフルサイズなライカより良いって思った。
レンズも良い感じだった。開放が甘いのは賛否あるっぽいが、開放パキッとが良ければX100Vを買えば良い気がする。まだ併売している。


さて、過去形で書いているので気付いた人もいるだろうが、手放した。
理由はいろいろあるけど、ライカと絵づくりの方向が似ている(もちろん違うけど)ことと、サブカメラっぽくなさすぎること。
GRみたいに片手で設定チョチョっと変えれて構図はともかく撮ってしまえ!っていうコンセプトのコンデジに慣れすぎていて、X100Fではサイズ的にそれは辛かったことと、このサイズなら重量はともかく、ライカ持ち出すわって思ってしまった。


なんとなくFUJIFILMのカメラはまた手にするかもしれないと思った。
ちなみに、流石に今回のカメラコロコロ入れ替えは嫁バレしたんだけど、「カメラ買うな、レンズなら許す」と言われて心の中でガッツポーズした。

*1:model : iさん @i04030818

 くだらない明日に別れを

コロナ自粛でテレワークしていたときがもはや懐かしい。
完全に日常生活に戻ってしまった。東京が何人だ、大阪が何人だって言ったって、このまま日常は進んでいく。
進んでいくというか「こなされていく日々」だ。
コロナでみんな自分のシノギと自分の健康に必死になって、少しぎこちない感じがする。
R0000080
自粛自粛もまっぴらだけど、人を不愉快にさせてまでやりたいナニカは特になかった。
でも、こういう時代だからこそ、自分は何が出来るのか、何がしたいのかを考えてみたいなぁと思う。


7月末から昨年の写真展「B.L.T」の続きをやる。
今回は2週間。
失われた日々とくだらない明日を蹴っ飛ばす為に暗室に通う今日この頃。
雨はもう降らないでくれ。
f:id:nowarl:20200718001828j:plain
Website