実像で写真を撮りたい

実に8年ぶりくらいに一眼レフカメラを使った。
たまたまTwitterPENTAXの最新機種を貸してくれるサービスを京都でやるって見かけて、申し込んだらまだ枠があったみたいで予約できた。
むかし、ボケ感が好きでよく使っていたF43mm limitedがセットレンズになっていたからK-1 mark IIを借りた。

自分が持っていた頃と比べて全体的にPENTAX、質感あげたなーって気持ちになった。シャッターフィールもそうなんだけど、全体的に。チャチさがなくなった。
ちょっと前に職場の人が使っているK-70を軽く触った時も「あれ、これ意外と…」って質感だったんだけど、ハイエンド機種は当たり前に良い感じ。




単玉振り回して気軽にガンガン撮っても全然バッテリー減らないのはさすが一眼レフって感じ。ミラーレスが嫌いなのって電池のモチが悪すぎて電源気になるのが嫌ってのも大きいし、家電触ってる感じなのが気に食わない。
ただ、ファインダーはライカのファインダーに慣れていると一眼レフは明るいレンズをつけていてもなんか暗いのと、当たり前なんだけどどうしてもピントあわせようとしてしまうからいつもよりワンテンポ遅い写真を乱発していた。
頑なに一眼レフを使わなかった理由を鮮明に思い出した。
没入感は圧倒的に一眼レフの方がいいなーって思いながら、ポートレートの予定でも立てておいて借りれば良かったなーって少し思ったりした。
家に帰ってRAW現像しているとFA43mmの画角ってフルサイズでこそ面白いし、描写も面白くてほんと良い感じだった。
マウント増やす気はあんまないけど、K-1 mark IIとFA43mm全然買っても良いなって思えた。何せ安い。
1日カメラを貸してくれるってめっちゃ良い。まぁ自分の製品に自信があるんだろうな。

 身軽に動きたい

8月末にコロナにかかってしまって10日間ポッカリと空白が生まれてしまった。
幸い軽症だったのもあって、家でぼんやり仕事していたんだけど、人と会話ができないのがこんなに辛いとは思わなかった。あと、外に出たくて仕方がなかった。
8月は序盤はとてもいい感じにいろんなことが巡っていたのに、後遺症なのか単に10日間で体力が落ちたのか、9月はちょっとしたことで疲れが出て大変だった。
コロナに効く薬早くできねーかな…って思いながら、きっとまた感染拡大する冬が近づいている。
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9月は体力ダウンというかすぐしんどくなってしまうのをなんとかしたくて、意識的にライカを持ち歩くようにしていた。
ある日からライカだけぶら下げてポケットにiPhoneと小銭とICOCAだけになった。「なんかあったらまずいんじゃない?」って言われて小さなカードケースにICOCAと小銭と保険証を入れるようにし始めたけど基本手ぶら生活。
別に困ることもないし、困ったら家に帰れば良いやって気楽なもんだ。割とこんなテンションで遠出もしてるけど本当困ることってないよな。
困るといえばライカで撮るときに限って天気悪い日が続いたのはちょっと残念な9月の思い出だ。
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フィルムでももちろん写真は撮っていて毎週1本は使ってるくらいなんだけど、手ぶら生活になってから予備フィルムを持ち歩かないことが増えて少し停滞している。そうなってくると、別にもうデジタルでも良いんじゃない?って気にもなったりして困ったもんなんだけど、暗室作業楽しいし使ってないフィルムがまだ40本以上家にあるから折角だしやめたくない。
でも、フィルムでもデジタルでもモノクロで撮ると、ライカはライカらしい写りなんだよな。ま、レンズ一緒だから当たり前なんだけどさ。
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気がつけばもう10月も終わりそうで、本当にいろんなことがあっという間に転がっていく世間の無情さを感じる。

 カメラなんて何でもいい

少し前に「カメラなんて何でもいいって言うやつ大体ライカユーザー」って感じのTweetが流れてきて、笑ってしまった。
変な話なんだけど、自分もよく「カメラなんて何でもいいから、とにかく”撮る”って行為に馴染んだ方がいいよ」って人に言っている。
「別にスマホでもいいじゃん」って言う人もいて、否定はしないんだけど、「わざわざカメラで撮る」ということによって構図や露光、トーンで表現がしたい人にはやっぱりカメラが良いと思う。
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ちょっと前に、目標達成したらライカを買い増ししようって決めていて、何買おうかなーってライカストアに見に行ったら、アプルーブドのシルバーのM240が置いてあった。
シルバーのライカに惹かれることって今まであんまりなかったけど、その個体がすごく素敵に見えて、なんでだろう?って思ってたら、貼り革がアラカルトの革だったから特にお洒落に見えたんだと気づいた。
その後、ちょっとした出物があって、同じアラカルトの貼り革が施されたシルバーのOH済み個体を入手した。
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262も240も出てくる画は全く同じなのに、何でわざわざ買い増ししたかっていうと、絶対的な安心感だった。
もう自分の中で完全に機材にかける情熱とかって終わっていて、今の自分が使いやすいカメラとその環境をキープすることが一番大切なんだよね。
ここ7年間、フィルムもデジタルもレンズは少し増えたけど、癖もほぼ完全に掴んでいて、「こうなったらこういう画が出てくる」とかこうなったら弱い(露出やピントが合わない)とか分かった上で使っている。
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これってある意味、「カメラなんて何でもいい」状態の一つなんだよね。だって多分、気に入って手に馴染んだカメラ使ってればみんなその状態になるから。
気に入ったカメラぶっ壊すまで使ってりゃ、撮りたいものは必然的に見つかってくるし、きっと壊れる前にはその撮りたいものに丁度良いカメラに出会えてんじゃないかな。
そもそも、そこまで撮ってりゃ、別の意味でカメラなんて何でも良くなってると思うけど。
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そんなことを思いながらGRで夜ポトレを撮っていたら突然レンズが途中で引っかかって強制終了、沈黙してしまった。
壊れた。と絶望して「今日はもう解散っすね…」って駅まで歩いていたら突如復活して上のカットは慌ただしく撮ったんだけど、信頼してるカメラ壊れると本気で泣きそうになるよね。久々に味わったわ、この絶望感。

 LFI Galleryの認定50回突破と展示の話

コロナ禍で生まれたスキマみたいな時に、ふと思い立って投稿を始めたライカのオンラインギャラリー、LFI Gallery。
普段あまり自分からは表に出さない女性たちを撮った写真を投稿している。
投稿を始めたきっかけは以前記事にしているので、そちらを見てもらったほうが良い。
nowarl.hatenablog.com
2年前に投稿を始めたときに、なんとなく30回認定を目標にしていた。なぜかと言うと、30回載る頃にはコロナ禍も終わってるでしょ…って思っていたから。
で、去年これはまだ続きそうだなって50回認定に目標を変えた。
6月始めに50回達成して、今52回認定されたところ。
最初の1年はポートレートが載っていたんだけど、去年のB.L.T前後からヌードとかセミヌードとか、いわゆる”センシュアル”な写真ばかりが載るようになった。
たまにポートレートも載るんだけど、自分でも”撮るポイント”が変わってきたなって感じていたので、見る人が見たらまぁそうなるよね…と納得はしてる。
nowarl.hatenablog.com
というわけでここに貼れる写真も少ないし、別に「誰かが認めてくれてる」って事実だけでお腹いっぱいだったのだけど、意外とリアルに自分の写真活動を知っている人たちが祝福してくれて嬉しかった。
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あ、でも52回目にこの写真選ばれたのはめっちゃ嬉しかった。
be-lab-gallery.com
そして今年もB.L.Tの季節がやってくる。
暗室でのプリント作業も50%くらい進んできた。最近やっと頭の中で思い描いた写真がプリントできてきた気がする。
今回も誰よりも写ってくれた人に響く展示になれば良いなー。

 利き目

使っているカメラのファインダーを覗くのは右目?左目?
自分は必ず右目。
イカもマキナもレンジファインダーだから撮影の時には特に右目を酷使することになる。目が乾燥するのも右目だけ。
あんまり疲れているとGR1やGRでノーファインダーで撮る。でも、半身で構えた時に右手にある被写体は思った通りに狙えるのに、左手にある被写体はちょっとずれていることが多くて、右目で見た世界なのだと強く感じる。
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GR meet 47というイベントに参加した。フォトウォーク的なイベントに行きたいなっていう気持ちもあったんだけど、写真は一人で撮るもんだとずっと思ってやってきたし、団体行動が苦手なのでたぶん行かないだろうなって思っていた。たまたま家でボーッとしていたタイミングで案内メールが飛んできたから参加できた。いろいろタイミングがすごかった。
撮影会は自由だったので適当なタイミングで集団から抜け出して、”いつもの京都”をぶらぶらしてパチパチ撮った中から講評用に2枚選んだ。2枚ってのが本当に良かったのと、津田直さんと中藤毅彦さんに講評されるのは嬉しかった。正直、講評のためだけに行ったようなところもあったから尚更。
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まぁでもやっぱり写真は一人で撮るもんだと思う。
GRみたいなカメラは特に。とはいえ、カメラは何でも良いなって思うことが最近多くて、本当に大事なことって何で撮るかじゃなくて何を撮るかだから。

写真を巡る旅に出たい。

 消えていくものを遺したい

開戦以降、戦争写真を撮りたいっていう人が意外と多いことに驚いている。
宮嶋茂樹氏が「戦争は撮っておかないと後で”なかったこと”にされてしまう」と語っていたが、激戦地となっているマリウポリを去るジャーナリストが無念さを滲ませて同じようなことを言っていた。ただ、「生きて帰らないとお前の写真は嘘だと言われてしまうから、生きて帰ってくれ」と現地に残る警察官に告げられたことも記録に残していた。
写真の「記録性」と「信憑性」が究極的に求められて利用されまくる、その極地が戦争写真なのかもしれないなって、流れてくる戦争報道を見ながら考えていた。
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今はまだ平和な日本で、良い写真ってなんなんだろうって思いながら、いろいろ考えていたら3月はスナップ的な写真をあまり撮れなかった気がする。
現実には撮ってるんだけど、どうにもどうでも良い写真ばかりで、自分の気持ちとチグハグな感じ。
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何が撮りたいんだろうかって考えていると、消えていく街とか消えていく人とか、そういういつか存在だけじゃなくて記憶からも消えていくものを、なんとか記憶として脳味噌に縛り付けておきたくて写真を撮っているんだと思い出した。
忘却って、人間の素晴らしい脳味噌の機能の一つだっていう人もいて、なるほどなーって思ったりもする。誰だって嫌なことは忘れて眠りたいんだ。
でも、いつかの素敵な誰かの顔を忘れてしまうのは切ない。
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淡く人も撮りながら。

 「誰か」って誰だ

2月が本当にあっという間に過ぎた。
あっという間と言いつつ、思い起こすとなかなか濃い時間を過ごした気もする。
モデルさんが主役のいわゆる「モデル展」に写真を出したり、沖縄で撮りためたネガの中から3月の展示用の写真をプリントしたり。
そういえば、2月は一人で何かをすることが多かった。
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誰かと写真を一緒に撮りに行くとか楽しそうだってずっと思っていて、フォトウォーク的なものに憧れたりもする。
でも、「誰か」って誰だって思うと、写真を撮るっていう自分としては少し内省的な行為をともにして欲しいって対象がそんなにいないことにも気づく。
別に誘われたりしたら断らない性分なんだけど、そこで撮る写真って、一人で撮っているときの自分ではなくて「誰かと一緒にいる自分」の写真になりそうで怖い。怖いというか、そうなったら色んなことにがっかりしそうだなって思う。
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人の写真を撮るのだって同じだ。
よくSNSで「被写体募集」なんてハッシュタグを見かける。いつもちょっと違和感を感じる。
撮る基準は人それぞれだから、色んな人がいるし、否定も肯定もしないけど、自分は都合の良い日に良い感じに写ってくれる「誰か」を撮りたいんじゃない。
だから募集はしない。
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みんな「誰か」じゃなくて「あなた」なんだ。
一人一人に名前があって、帰属する何かがあって、特徴がある。たぶんそういうのが組み合わさって「個性」がある。
それをぺしゃんこにしてしまう戦争が、至って普通に起こった。自分たちと変わらない文化水準の街に爆弾が降ってくるなんて。
動揺しながらも、自分の今日を生きるしかない。